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熊本県山鹿市平小城では、村おこしの一環として春・秋・冬に、平山温泉+体験ツアーを開催しています。どうぞ、お越し下さい。
火の国未来作りネットワーク(豊前街道 縁の旅)に参加しました。
本日(23日)午後1時30分~行なわれました火の国未来作りネットワーク(豊前街道 縁の旅)に参加してまいりました。
最初は、米米惣門ツアーです。これは、古くからある山鹿の米に関係する商店などをみて廻るツアーです。味噌・麹屋さんからスタート、次が造り酒屋さん、せんべい屋さん、米屋さんが経典を寄付したお寺で終わりです。古くからの店作りを見、米に関する話を聞きました。とても人気があるツアーで多い日は、20件以上のツアーがあるそうです。
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午後2時40分からは、山鹿旅先案内人による、豊前街道沿いの山鹿の案内がありました。小さな路地に山鹿の歴史が沢山残っているのにビックリしました。山鹿にお城あったと言う話は、聞いた事がありましたが、城跡へは、初めて行きました。城跡から山鹿の町並みを見ていると、その時代にタイムスリップしたような感覚に誘われました。
その後、灯籠民芸館・八千代座を見て回りました。
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午後5時からは、天聴の蔵で、各町づくり団体が活動の概要などを発表、竹トンボ作りを体験、午後6時からは、懇親会が行なわれました。火の国未来作りネットワークの「本田 節会長」もお忙しい中参加頂きまして、灯籠踊り保存会による、灯籠踊りや、植木町の小町ウイングによる「スイカ音頭」、幸の国かほく有機の会の、茶山歌など、盛りだくさんの内容でした。

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2010.01.23 Sat 23:37:22 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
平山温泉誌
この記事は、ノートに書き残してあったものです。

平山温泉誌

歴史は遠く天正(1573~1591年)の昔、湯山郷の大動脈平山川の西岸櫻山の裾一帯は竹薮が密生していた。その中の川岸に近い窪地に小さな水溜りがあった。

青味を帯びた水面は、小波を立て、落ち葉は点々として浮かび、水の間を漏れさす陽光が斑点を描き、木影が逆さに映った姿なども風情を添えていた。

寒い冬の日には、少しばかりの湯気が立ち昇り、暑い夏の日などには硫黄臭を放って、むせかえるような事もあったが村人たちはこれが温泉であろうとは夢にも思っていなかった。

その水溜まりに何処から飛んできたのか、手傷を負うたらしい一羽の鶴が水に浸かっていたのを目撃した村人もあった。毎日、毎日根気良く浸かり続けていたが、日ならずして傷が癒えたものか、嬉々としてまた何処となく飛び去っていた。

村人はこの不思議な事実に驚いた。もしやと思ってよく調べてみると何とそれは温泉ではなかったか。

村人達は一同に歓喜の声をあげた。「天の恵みだ!さあ掘るぞ!」そうした声は巷に満ちて俺も我もの総動員。掘るにつれ、水晶を溶かしたような泉がコンコンとして、脈を打ち体温そこそこの温度を保つに至ったのである。

又、一説によれば天亀の頃、当時の住民たちは疥癬が非常に流行して殆ど罹病せぬ人はなく、男は田畑の耕作が不可能となり、女は綿布を折ることができなくなり、ために村は疲弊の一途を辿り生活は困難となり、餓死者をも出し兼ねない状態に立ち至ったので、

この上は神仏にお縋りするより他はあるまいと阿蘇の大神に「神よ願わくば、我等のこの苦難を救わせ給え」と斎戒沐浴只管祈誓をかければ、大神もこの苦哀を御感応ましまして仮に一体を現し給い一夜にして山の高きを削り谷の深きを埋め給えば忽然として温泉が湧出した。

驚喜の声を放った住民達はささやかながら浴槽を急造し入浴すれば神の恵みは有難やさしも猖けつの疥癬も悉く癒え作業も楽になり生活は日毎に豊かになっていった。

住民達はこれを徳として前川内に祠を建て(阿蘇大明神)を祀り永久に守護神として尊崇することになった。これが平山という名称の起源であると言い伝えられている。

これは、肥後国誌にも収録されており、以上二説のうちいずれが事実であるかは 聞に属することとて知る由もないが鶴が発見したと言う説が現実性があるように思われる。



平小城活性化協議会HP
http://www.hiraogi-genki.net/

平山温泉観光協会HP
http://www.hirayama-onsen.jp/




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2007.08.16 Thu 00:00:00 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
平小城よかとこネット通信より No. 12
平成16年11月1日に発行された「平小城よかとこネット通信」を抜粋して掲載します。

各区の記事は、地元の方に取材した内容をもとに掲載しています。したがいまして、歴史関係書物とは多少違った見解や表現が出てくることが予想されます。しかしながら、地元での昔話や言い伝えという立場でそのまま掲載していますのでご了承下さい。

14 区  大 原


◆年間行事

1月…初寄り。朝7時に大人も子どもも、皆三野家のお堂に集まって新年の挨拶をして、御神酒をいただきます。

(平小城村第二代村長として、三野実親公は、明治25年~27年の間、村長をされていました。三野家の敷地内にはお堂さんが祀ってあり、今でも部落で守り続けています。)

1月…どんどや
4・8・10月…区役
年2回…老人会での公民館の草取り


◆史跡・名所
   
【絶滅危惧種 オニバス】 
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国内ではこれまで約300ヵ所の生育地が記録されていますが、生育地の埋め立てや水質悪化などによって各地で消滅し、現在も生育しているのは70ヵ所程度といわれています。

本県ではかつて熊本市、八代市、荒尾市などに生育していましたが、ほとんどの地域では最近の10年間以上生育が見られません。

現在、安定した生育地は山鹿市だけです。

【オブサン古墳・チブサン古墳】
      (国指定史跡)
     
大原公民館から、オブサン古墳まで徒歩5分、チブサン古墳まで10分で行けます。
 オブサン古墳からの望めは最高で、天気の良い日は遠く阿蘇山や俵山が望めます。20070109144417.jpg
また、山鹿灯篭祭の花火大会の時には、大勢の方が見物に利用されています。
  
【山鹿市立博物館】
      
 方保田東原遺跡と湯の口横穴群から出土した遺物を中心に、旧石器時代から近世までの資料を展示しています。屋外には、装飾古墳壁画の実物大復元模型がある「古墳の森」などがあり散策も楽しめます。予約をすればチブサン古墳などの案内もしてくれます。
      
【岩間間道】
     
岩間間道は、明治10年西南の役「山鹿口の戦い」では山鹿と南関を結ぶ重要道路であり、政薩両軍による激しい攻防戦が展開されていた。

ことに3月3日、4日南関にある政府軍本営を襲わんと総進撃を開始した薩軍とこれを迎え撃つ政府軍との戦いはこの間道最大の激戦だった。

地域の歩み  
    
14区は、元々は保柳11区で、昭和22年頃に今の14区になりました。
 昔、大原は、「平小城の北海道」といわれたぐらいの田舎で、電灯もなく、ランプ生活でしたが、ようやく昭和22年に電灯がつきました。

昭和24年には小群・川辺線、27年には大原・石村線が開通しました。

この道は、「だごひゃご出てつくらにゃ」(抱く子もはう子もみんな総出で作ろうじゃないか)といって、平小城じゅうの人たちに手伝ってもらって、人力のみで出来上がった道です。

 昭和44年には、平小城南校区の補場整備が整い、現在の大原区が誕生しました。


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2007.01.10 Wed 14:46:03 | 歴史・史跡| 0 track backs, 3 comments
平小城よかとこネット通信より No. 11
平成16年10月1日に発行された「平小城よかとこネット通信」を抜粋して掲載します。

各区の記事は、地元の方に取材した内容をもとに掲載しています。したがいまして、歴史関係書物とは多少違った見解や表現が出てくることが予想されます。しかしながら、地元での昔話や言い伝えという立場でそのまま掲載していますのでご了承下さい。

13 区  小 群(おむれ)

☆ 地域の紹介

◆年間行事

1月:初寄り、どんどや
1月4日:阿蘇神社元始祭
2月16日:祈年祭
3月6日:例祭
7月16日:大祓式
11月22日:新嘗祭
12月24日:大祓式(玉串配布式)
この他に、春・秋の彼岸ごもり

◆史跡・名所
  
【阿蘇四宮神社】安産の神さま

573年、田上河内守の勧請により建立され、それから1721年には阿蘇四宮神殿と楼門が建設されています。

1723年手洗い鉢ができ、1728年には拝殿が建てられ、1793年(寛政5年)9月25日境内が造られました。
  
【五輪の塔】といしさん
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どんないわれでここにあるのか分かりませんが、古老の話では「昔この地域で疫病が流行したときに、散らばって建てられている多宝塔(約40基)を一ヶ所に集めて、疫病退散を祈願したのではないだろうか」ということです。
  
【井川さん】六郎丸の井川

何百年も前から、どんな干ばつにも枯れることなく、こんこんと湧き出る井川さん。年中水温は17度。明治の初め、細川護久公も平山温泉に湯治に来られて毎日の飲料水に飲まれており、高山彦九朗はこの水のうまさに感嘆したと古文書に残っています。

阿蘇四宮神社と井川さんに由来する伝説

昔、湯町(山鹿町)に小早川忠兵衛という人の娘が難産で苦しんでいると、旅の僧が「北の方角に霊験あらたかな神が祀ってある。

その下にきれいな泉があり、その水を神に供えて娘に飲ませよ」と教えられその教えに従い、娘さんは無事男児を安産されました。

小早川家からは、そのお礼として阿蘇四宮神社に一対の灯籠を1772年奉納されています。


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日露戦役記念碑 旧街道(至 南関・十町)

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2006.12.07 Thu 20:19:34 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
平小城よかとこネット通信より No. 10
平成16年9月1日に発行された「平小城よかとこネット通信」を抜粋して掲載します。

各区の記事は、地元の方に取材した内容をもとに掲載しています。したがいまして、歴史関係書物とは多少違った見解や表現が出てくることが予想されます。しかしながら、地元での昔話や言い伝えという立場でそのまま掲載していますのでご了承下さい。

11 区  保 柳

☆ 地域の紹介

◆年間行事

1月:初寄り・山の神祭り
3月:保柳阿蘇神社大祭
6月:保柳阿蘇神社大祭
9月:保柳阿蘇神社彼岸ごもり
   敬老の日 祝賀会
11月13日‥保柳阿蘇神社秋祭り
12月‥保柳阿蘇神社大祭
     
◆保柳区の地名の由来 

文政9年(1826年)から
明治7年(1874年)迄の48年間を、保柳村と呼称していました。
その後、合併に伴い城村・平小城
村と呼ぶようになり、それ以来この地を保柳と呼んでいます。

◆名所・旧跡  
  
【保柳阿蘇神社】  

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祭神は、ひめみこのみことで菅原道真公と合併祭神です。
承平3年(933年)10月18日宇津小次郎という人が村社をつくり、阿蘇神社十二宮の内の四宮の祭神(ひめみこのみこと)で、この神を分けてきたものです。1071年の歴史があります。
合併菅原道真公は、城字町3147番地に鎮座の処。明治16年実査により明細帳漏れが発見され、村民から存置を認めてほしいとの要望がありましたが、樹木厳穴等に祭り建物がないものは認められないため、明治20年6月本社(阿蘇神社)へ合併されたそうです。
   
【井川さん】

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区内には、2つの井川さん(つるべ井戸、ひら井戸)がありました。水不足の時は、生活用水として地区住民の大切な水源でした。現在、ひら井戸のみ残っています。

【木部(きべ)甚(じん)太郎(たろう)翁(おきな)

              頌徳碑(しょうとくひ)】
 

安政2年(1855年)に保柳村に生まれ、幼少期から漢文や書道などを学び、明治7年、城村の誕生とき、当時19歳で村職員になられ明治22年、平小城村が誕生したときには、収入役となり、41歳で助役に、42歳からは村長として3期務められています。

大正7年まで(42年間)村のため尽力された功績を頌えるために、平小城村内の有志により、大正11年に、記念碑を建立されました。平成16年5月に(県道和仁・山鹿線拡幅のため)保柳阿蘇神社裏に移築されています。

【龍宮さん】
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水神さんでいつごろ来られたか不明ですが、菊池川と岩野川の合流地点の、小原側あたりに龍宮の地名が残っています。昔、年貢米を船で運ぶとき、この場所で水難除けを祈願して通っていたと、古い書物に残っています。その水神さまを分けてもらって現在地(保柳公民館となり)に祀られていて、水不足のおりには、雨乞いの神事(この祈願で何日後に雨が降るかお告げがあった)を行って祈願していたそうです。 



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2006.12.05 Tue 21:58:24 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
平小城よかとこネット通信より No. 9
平成16年8月1日に発行された「平小城よかとこネット通信」を抜粋して掲載します。

各区の記事は、地元の方に取材した内容をもとに掲載しています。したがいまして、歴史関係書物とは多少違った見解や表現が出てくることが予想されます。しかしながら、地元での昔話や言い伝えという立場でそのまま掲載していますのでご了承下さい。

9 区  城(じょう)

☆ 史 跡

チブサン古墳
03-01-01tibusan_000.jpg DSCF02650001.jpgチブサン、オブサンは、平小城で唯一の国指定文化財です。

今から千五百年前に作られた豪族の墳墓で、その内壁に赤・白・青で三角や菱形の連続模様が描かれています。

正面中央の同心円が乳房の形に見えるところから、チブサンの名が起こり、古来より「乳の神様」として崇拝されてきました。
DSCF02700001.jpg DSCF02730001.jpgオブサン古墳

馬塚古墳

岩野川を一望出来る位置に作られた豪族の墳墓で、中から馬具装飾品が出土したことから、馬塚古墳といわれてきました。

弁財天まつり

120年ほど前から行われています。


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2006.11.23 Thu 16:42:36 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
平小城よかとこネット通信より No. 8
平成16年7月1日に発行された「平小城よかとこネット通信」を抜粋して掲載します。

各区の記事は、地元の方に取材した内容をもとに掲載しています。したがいまして、歴史関係書物とは多少違った見解や表現が出てくることが予想されます。しかしながら、地元での昔話や言い伝えという立場でそのまま掲載していますのでご了承下さい。

8 区  城(じょう)


肥後国衆一揆

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今も空掘りが点在し、瓦などが出土している城村城跡

豊臣秀吉の時代に、加藤清正の前の肥後領主であった佐々成政が、秀吉の命令に反して検地を実施したため(税金をとろうとしたため)土地の人たちが起こした一揆です。城はその中心となりました。

鹿本・菊池地区農民が中心となり、1万5千人の人が城村城(じょうむらじょう)に立てこもり、八月から十二月までの約4ヶ月間に渡って激戦が行われました。

この戦いにより、秀吉は「刀狩り」を行い、農民と武士の区別をするようになりました。

現存する、妙見・太郎丸・五郎丸・三の丸などの地名が当時をしのばせます。


■ 名所・旧跡
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菅原神社とラカン槙

この神社は、今から妬く四百年前に肥後国衆一揆の時の城主、隈部親安が建立したと伝えられています。

以前は、秋祭りの時、神楽が行われていましたが、後継者不足で今は中止されています。

その時使われていた太鼓が、城の公民館に保存されています。神社の大祭は、九月二十三日の彼岸籠りを中心に、年に八回行われています。

境内にあるラカン槙は、地区住民の精進と繁栄を願い、城村城築城時に植樹されたものです。平成五年四月「ふるさと熊本の古木」に指定されました。

他にも、古木として三の丸椿や、杉谷区長さん宅の樹齢百年を超えるつつじがあります。


探してみませんか?

城原台地には、横穴がたくさんあり、その一つはお城の抜け道らしく川辺につながっていると言われていました。

また、金の茶釜がどこかに埋蔵されているかも??との言い伝えもあるそうです。


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2006.11.18 Sat 22:10:50 | 歴史・史跡| 0 track backs, 0 comments
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